浜松工業会浜松支部 平成23年度支部総会 cインタビュー

作成日【2011.09.05】

1 支部総会

田嶋直士氏インタビュー

浜松工業会浜松支部総会での記念講演に先立ち、講演前の30分多忙な中、講師であり、浜松工業会会員でもあります、日本を代表する国際的尺八演奏家 直簫流(じきしょうりゅう)尺八宗家 田嶋直士様から貴重なお話をいただきましたので、以下に記載します。



<参考>   田嶋直士氏のホームページ【田嶋直士 尺八の世界】のURLです。
         http://homepage2.nifty.com/tajima-tadashi/

日時:平成23年5月21日(土) 15:00〜15:30
場所:グランドホテル浜松内 千歳の間(講師控室) 
インタビュー:直簫流 尺八宗家 田嶋直士氏
  インタビューア:広報委員 藤田幸宏 鈴木敏弘
            同席 浜松支部副支部長 竹内栄治
             ミクムス研究所代表 村上和男氏
 
 

インタビュー内容

 (インタビュー前の控室での田嶋直士氏)


                                              
1) 子供の頃について
Q. ご出身はどちらでしょうか?
A.大阪の堺です。大鳥神社というのがありまして、日本武尊(やまとたけるのみこと)が病に倒れ亡くなり、その時に白鳥になってどこかに飛んでいき、最後に降りたところの一つが堺の大鳥神社というところです。そこの近くで暮らしていました。
Q. 小中高と大阪の堺で過ごしていて、興味をもったこと、夢中になったことは、どんなことですか。
A.小さい頃は昆虫採集が好きで蝶々を追いかけていました。野原を走るのが好きで、魚を採ったり、竹で水鉄砲を作ったりして、野や山を駆けずり回っていました。
Q. その頃は音楽に興味を持っていましたか。
A.音楽はほとんど関心なかったけれども、祭り笛なんかはちょっと好きで吹いていたということはありましたね。横笛の音の雰囲気がただおもしろいから、いたずらしているという程度で、みやげ物屋で買った笛を吹いていました。音楽はそれほど好きだということはなかったですね。
2) 工学部時代について
Q. 工学部に進もうと思ったきっかけはなんだったんでしょうか。
A.これは、数学の点数が良かった、単純にそれだけです。それに柔道をやっていまして、文系をやっている人達は女の腐ったやつ、みたいな、そういう体育会的な片寄った考えがあって、コーラスをやっているだとか、新聞をやっているだとか、そういう文系のクラブ活動は軟弱なイメージを持っていました。バンカラ風というのか、そういう雰囲気でしたので、そんなのが影響していたかもしれません。だから、文科系ではなくて理工系のことが好きで得意だというのは、今から思うと全く勘違いだったということです。
Q. 数学は好きだったんですか。
A.いや、好きというか、点数がよかったものですから、変に優越感がありました。個人的に習っていた先生が非常にユニークな先生で、幾何と代数を融合化するような問題の捉え方をしたりしていまして、それが非常にユニークでおもしろくて、そんなこともあって点数が良かったというのがありました。
Q. 柔道をやられていたとのことですが。何段ですか。
A.3段です。高校では初段で、大学の時に3段を取りました。大学院に行ってからは引退みたいな感じで、時々道場に行ってはちょっと覗いていました。今はぜんぜんダメですね。
Q. 最初に大阪から静岡に来ての印象はいかがですか
A. その頃は最初の1年から浜松に行く人と、静岡に行く人で2つに分かれていました。単純に、富士山があるということに惹かれて静岡に来たんです。最初に静岡に来て、授業中に窓から富士山のでっかいやつが見えまして、授業にあまり集中せずに富士山ばっかり見ていました。まあ、そんな感じでした。1年間大谷で暮らしました。
Q. 静岡から浜松に来た時の印象はいかがでしたか。
A.そうですね。静岡も浜松も自分の中では似たような印象があって、何か穏やかな、のんびりとした感じだったように思います。大阪と比べると浜松も静岡も同じような感じでした。
Q. 工学部で一番印象に残ったことは何でしょうか。
A.なんでしょうね。そうですね、大学院に行く時にもう受験勉強はいやだと思ったんです。でも机の上での何かというより、もっと何か興味深そうなことをやりたい、大学院に行ったらできるのではないかと思ったんです。でもそのために受験勉強はもういやだと思っていましたから、「推薦入学ができるんだったら行きます。」と教授に言ったのを覚えています。教授からは推薦入学のことは秘密事項だから、結果が分かるまでは言えないとのことでした。成績によって何番までは推薦入学にするとかがあるみたいで、推薦入学であれば受験勉強をしなくてもいいことから、その枠に入っているかどうかを知りたかったんです。その時教授はなんとなく入っているような顔つきをしましたから、受験することにしました。大学院に入って最初にテーマを与えられた時に、すごく難しいテーマと感じ、すごく落ち込んだのを覚えています。こんなところでやっていけるのかと、劣等感と不安みたいなのがかなりのものでした。それが一番の思い出だったかなあ。いろいろあったんでしょうけれど、遠い昔のことだから。
3) 尺八との出会い
Q. 大学4年の時に尺八に出会うわけですが、きっかけはどういうことでしょう。
A.これは柔道部の2年後輩に一風変わった男がいましてね、下駄をはいてガランガランと歩いたり。それが尺八をやると言い出したんです。それで父親が若い頃は尺八をやっていたらしく、尺八が押入れの中にあったのを覚えていたので、休みに家に帰った時にその尺八を借りてきて、その後輩に貸したんです。それでしばらくして何をしてるのかなあと覗きに行ったら、4,5人くらいで尺八を練習していました。化学の先生が尺八の師範で、その先生に尺八を教えてもらっていました。それで僕が笛を吹くみたいに吹いたらピュっと鳴って、一ケ月くらい前から始めた後輩よりはるかに上手に吹けたような気がして、それがうれしくなってそのまま始めたというのがきっかけです。
Q. 上達は早かったんですか?
A.へたでしたね、もうほんとうにへたでした。尺八の教え方というのは、洋楽のような効果的なシステムのようなものがありませんでしたし、指導の仕方もあまり良くないんでしょうし、習い方もへたでした。大学4年から大学院の2年まで3年間やりましたが、へたでしたね、見事にへたでした。どんなところに惹かれたかということですが、実はぜんぜん惹かれなかったんですね。にごったきたない音で、音程も悪いし、なんかもう良いとこなんかひとつもないという感じでした。
Q. でも3年間続けたということは何かいいことがあったんですよね。
A.なんかあったんでしょうね。フルートを高校の時から始めたんですよ。吹奏楽器というのは似たようなところがあり、それとぼくは結構器用みたいで、いろいろ創意工夫したりして適当に吹いても鳴るんですよ。フルートはおもしろかったです。人生のある時期から音楽が好きになり、音楽ばっかり聴いていた時期がありました。クラッシックは今でも好きですが、当時は特に好きでした。それで何か楽器をやりたいと思った時に、いくつかの状況があってフルートを始めたんです。自分で教則本を買って、それを読みながらコツコツとやっていました。ですけど、まあこれもへたでしたね。
Q. フルートは独学でしたか?
A.独学でしたね。高校の2年くらいからフルートを吹いていました。大学に入って、最初はとにかく自分は運動部、柔道部ということで、柔道一筋みたいな感じでしたが、2年の時に大学のオーケストラにフルートで入りました。4年からは平行して尺八もやっていました。
Q. 鳴らし方はフルートと尺八はどうですか?
A. A.似ていますよ。だから簡単に尺八を鳴らすことができたんでしょう。振り返ってみますとフルートはすごくおもしろくて良い楽器だと思っていました。尺八はほんとうにひどい楽器で、しょうもないと思っていたんですけれども、尺八がちょっとおもしろくなると、フルートの方はおもしろくなくなるみたいな感じで、シーソみたい感じで変化していきました。
Q. 今もフルートはやられるんですか。
A.やりません。今はあんまりおもしろいと感じなくなりました。極端ですけれども。
Q. 尺八は、基本的に穴が、前が4つで後ろが1つで、全部で5つですが、それで音を半音上げたり、下げたり、音が自在に出せるということは、かなりテクニシャンでなければいけないと同時に、自分でいろいろなことができるという楽しみというようなことがあるように思えますが。
A.自由度がものすごく広い。自由度が広すぎて どうしようもないくらい広い。ですから、自由度 をコントロールできない人には、相当面倒な楽器 ですね。
Q. 大きさも今拝見しただけでもたくさんありますし、 先生のHome Pageを見ても何十本とありますね。
A.普通に演奏に使うのであれば10種類は使います。 15種類くらいもっています。

        1尺1寸から3尺1寸の17種類の尺八
Q. 尺八の節の数も決まっているのですか。
A.決まっています。それもまた特殊な世界の話になりますが。
4) 会社員時代について
Q. 大学院を卒業して、空調会社に入ったとのことですが、空調会社に入った動機はなんでしょうか。
A.入ったのは大阪のダイキンです。大阪の会社で、自分も大阪の出身ということ、それから父がダイキンの重役と知り合いだった、それくらいの理由です。別にコネで入ったとかはないんですが、どこでもいいから、それだったらダイキンにするかという、それくらいいい加減なものでした。
Q. ダイキン時代のエンジニアとしての思い出は?
A.そうですね。5年いましたが、今から振り返るとつくづく会社人間に合わない性格だったなあとひしひし思います。それと理系には全然向いていないようですし、会社ではあまりいい思い出はないですね。いろいろなアイデアをいっぱい出してがんばりましたが、どちらかというと会社員生活は自分にとってマイナスのことが多かったように思います。日本の会社は、人間の使い方がうまくないとか、効率が悪い、無駄な使い方が多いのではないでしょうか。もうすこし効果的に働かせたら、みんな活き活きと力を発揮するのになあと思いました。だからぼくはもっと自分にとっての自由な時間がほしかったです。
Q. その当時から尺八はやられていたんですか。
A.そうです。だんだんとおもしろくなって、休みの日になったら朝から晩まで尺八漬けでしたね。それで会社生活が5年間もったみたいです。
Q. 会社は5年でやめられたとのことですが、何かきっかけがあったのでしょうか。
A.これはね、ニクソンショックなんです。円が自由化になった時です。自分はむやみに生真面目だったんでしょう。小っちゃい頃から融通がきかなくて、自分はこうあるべきだと決めて、それに邁進してきたという感じがするんです。ところが本人はどうも不真面目な人間で、もっと自由にいきたい人だったみたいで、それを無理やり押さえこんで、国家のために、人のために、会社のためにとがんばってきたんです。けれども、気がついたら日本は強い国になっとるじゃないかということで、自分ひとりくらい電車から降りて自由に生きてもいいでしょうと、そんな感じでやめちゃったんです。
Q. そこからですか、尺八の演奏家になったのは?
A.尺八の演奏家などとは思わなかったですね。とりあえずまず会社をやめて、それでしばらくの間やりたかった尺八を、もうそれだけやろうという気持ちでした。
Q. 生活は考えなかったんですか。
A.生活は考えなかった。というか、ぼくは何か根拠があるわけでもないのに自信があったんです。どんな状況になっても絶対自分の力で家族を養っていけるというような変な自負が強くてですね、ただもう放り出されてもどこかでそういうものは獲得できると思っていました。ただ尺八では飯を食えるとはまったく思わなかったです。こういう芸術活動では生活できないというのは、ちょっと想像しても分かると思います。尺八の演奏家になろうとも、生活できるとも思わなかったですね。
Q. そのころは一人でしたか。
A. 一人でした。やめて一年後に結婚したんですね、収入が全くない時に。それも普通で考えるとけったいですね。だから生活のことを考えると最初から演奏家になんて全然思ってなかったですね。
5) 演奏家になって
Q. 演奏家になるのはどういうきっかけでしたか。
A. それはなんとなくズルズルとなったんです。自分は当分の間は尺八以外のことで時間を使いたくないと思ったんです。だから、音楽に関しての裏方などの仕事はやりましたけれど、生活のためだけのバイトなんかはやらないでおこうと思いました。
Q. 尺八には何々流派、例えば都山流とかありますが、そういうのには属さなかったのですか。
A. 最初の化学の先生が都山流でした。尺八がおもしろくなってきたきっかけの一つは、大阪である時一回集まろうじゃないかというので、昔の同好の連中が集まったんです。その時に最初のきっかけを作ってくれた後輩の彼がおもしろい曲を演奏していたんですね、それが虚無僧の音楽だったんです。これはおもしろいなあといって、その先生のところに連れていってほしいと言って、連れて行ってもらったんです。その人が竹保流という流派の家元、酒井竹保先生でした。そこで虚無僧の曲を習い始めたんです。それから相当はまり込んでいったという感じです。
Q. それから自分で流派を起こしたんですか。流派を起こしたいきさつを教えて下さい。
A. とにかく僕は流派にこだわりたくなかったんです。それぞれの流派は、この流派はこうでなくてはいけない、これをしてはいけないという、非常にしばりが強いんです。尺八ではなんでもやりたいことをやったらというのがぼくの考えで、そういう縛り付けるような、枠なんかを取っ払いたかった。だから自分流というのを作ろう、なんでもありの流派を作ろうと思い、それにはそれらしい名前をつけようかなということです。直簫流の、直(じき)は僕の名前の一文字、簫(しょう)は中国の縦笛のことなんです。竹の縦笛、それを簫というんです。中国では洞簫(どうしょう)が尺八のことなんですね。だから折角く名前を付けるんだったら、源流に基づいた名前を使おうということです。名前はいかめしいですが、中身はいいかげんです。演奏の一番のメインは、古典の曲である虚無僧の曲が多いです。民謡の世界は全然やりません。自分の中ではあまり民謡はわかりません。
Q. 尺八は伴奏楽器のように思っていましたが、そうではないのでしょうか。
A. A.もともとはお経ですから、お坊さんの修行のためのもので、独奏楽器です。それが江戸時代とかもっと後になって、三味線とか箏とかと一緒にいろいろなことをしたりとか、それから北前船なんかで運ばれて、北のほうの江刺追分とくっついて、民謡と尺八が一緒にやったりとか、いろいろな展開、流れがあります。
Q. 先生のHome Pageを見ると、いろいろな楽器と一緒にやられていますが。
A.尺八で何かやっているという意識は全くなくて、自分のやりたいことをやる、その手段が尺八だという考えです。
Q. 独奏が多いですか、それともオーケストラとかと一緒にやるのが多いですか。
A.一人の場合は独奏しかありませんが、オーケストラとやることもあるし、室内音楽やソプラノと一緒にやるとか、ピアノとやるとか、なんでもありです。
Q. 海外で年間に何日という演奏活動をしていて、すごいバイタリティがあって、すごいなあと思いました。どこにそんなにエネルギーがあるのかなあと思います。
A.最近はちょっとゆっくりズムになってきて、前は何にしてもものすごいアグレッシブでしたね。 海外はヨーロッパが多いですね。結局海外に行くといっても、演奏の場がなければ行けないわけです。遊びに行って演奏するわけではないので、海外でセッティングがあって、会場とか、お客さんとか、それから経済的ないろんなことが全部成り立たないと海外に行けないですから、そういうコネクションができないとだめなんですね。
Q. 先生はお弟子さんというのはかなりいるんですか。
A.A.大阪と横浜と、後は所々にポツポツといます。今度もジュネーブで演奏するんですけれども、それはジュネーブにいる僕の生徒さんがセッティングしてくれて、講習会と尺八を作るワークショップとコンサートとを行います。
Q. 先生はお弟子さんというのはかなりいるんですか。
A.大阪と横浜と、後は所々にポツポツといます。今度もジュネーブで演奏するんですけれども、それはジュネーブにいる僕の生徒さんがセッティングしてくれて、講習会と尺八を作るワークショップとコンサートとを行います。
6) 尺八について
Q. 先生のHome Pageを見ると、尺八には竹以外にもプラスティックや木など、いろいろものがありますが、竹だと素人ではなかなか鳴らないのですが、プラスティックだと子供のリコーダのように素人でも鳴るように思えますが、いかがでしょうか。
A.同じような格好をしていますが、リコーダとは構造が全く違 います。材料が違って、どの尺八も鳴り易さも、鳴りにくさもほ とんど一緒です。
Q. 尺八は必ず竹の下の方を使っていますが、途中ではだめですか。
A. A.途中でもいいんでしょうけれども、高く売れないですね。 それとここの根っこのところの厚みと密度がすごくしっかりと しているので、振動と関係があるんです。尺八は材料も振動し ています。薄い材質だと全然音に力がなくてだめです。この 根っこで締めているのがいいですね。

               竹製 尺八
Q. 真ん中で2本接続していますが、尺八はみんな接続ですか。
A.昔は一本でしたが、今はもう接続ですね。短い尺八は1本ですけれども、基本的には2本です。
Q. 細かいことですが、中はくりぬいて1本になっていて、漆とか塗っているのですか。
A.どうやって作っているかというと、昔は竹薮から竹を適当に虚無僧が切ってきて、それで節を適当に抜くんです。それで吹いてみて悪いのは捨ててしまうわけです。良いのだけ残していって、そういうのを何千本、何万本もやっている中に偶然に良いのができるわけです。バランスも全てが良いものが名器として残っているわけです。それをコピーして同じもの作るわけです。粘土細工みたいにして、塗粉と漆を混ぜて、最後に漆で仕上げて、一個づつそうやって作っていくんです。
Q. この指穴の大きさは自分で調節するとか、どうやって決めているのですか
A.指穴の大きさは音程と鳴りに関係しています。穴を調整して削ったり、埋めたりして音程を調整します。最近はほとんどしていないのですが、昔はしょっ中穴を調整していました。小刀で削ったりして、音程の狂いを直すんです。穴が大きいほど大きな音が鳴りやすい。穴から空気が抜けますが、穴のところにバックプレッシャがかかって音が鳴りにくくなります。穴が大きいとそこからストーンと空気が抜けますから音が鳴りやすいんです。いろいろな指の組みあわせで倍音を作っていきますが、その倍音が壊れたりすることがあります。一つの音だけですと穴は大きいほうがいいのですが、そうはいかない。全部の音を一つ一つ竹で作って、それを何本も並べるといいのですけれども、そうすると実用的ではないので、一本で共用するとなるといろいろなマイナスの部分が出てきます。ですから、何をとるのか、機能性をとるのか、折り合い点をみつけていくのです。ものすごく大きく穴を開けている人もいます。でもものすごく指が太くないといけない。指で塞がらなかったら困りますから、自分のものは自分で調整して削っています。
Q. 先生は肺活量は結構あるんでしょうか。
A.肺活量は元気な時に計って3800ccくらいでした。尺八は吹いてはだめなんです。肺活量のいる吹き方をしたらだめなんです。考え方が全然逆なんですね。音を作るために、強く大きな息を作るというのがあるんですけれど、そうするとだめなんです。やればやるほどかえってだめなんです。自然の状態でもないんですね。バランスを作るということが大事なんです。今日演奏を聴いて頂いたら、多分すごい肺活量だなあと感じると思いますが、イメージとしていろいろな大事な歯車がありまして、その歯車がうまく噛み合った時にぱっと力が出る。それが噛まなかったら、すこっと抜けてしまう。そういう時はなんぼやっても、もう息が苦しいばっかりで大変なんですが、噛んだ時には呼吸をしていないような感じになります。息を出していない感じです。
7) 工学部の学生への一言
A.好奇心を持つこと、実践をすること、行動すること、それを是非やってほしいと思います。だいたいがそうですが、通常は尺八はこういうもんだという固定概念で決めてしまうじゃないですか。自分も最初そうでしたが、いろいろなことに興味を持っていくと、ものすごい新しい発見があって世界が広がるんです。だからいつも好奇心をすごく持っています。今は宇宙の無の世界を特集しているニュートンの物理学の雑誌をいつも持っています。書いてある内容は全然分からないんですが、これと尺八の演奏と結びつけたいと思っています。難しくてぜんぜん理解できないんですが、なんか繋がりそうな気がしてしょうがないんです。ダークエネルギーと尺八の機能世界をくっつけてと思っています。好奇心を一杯もつ、それと実践してみること。だめでもなんでもいいし、見当外れでもいいから実践してみると良いということです。
8) 浜松工業会へ一言
A.また呼んでほしいです。自分の話のことでなんですけれど、今日の講演は対話形式で行います。話しの中でいろいろ演奏を入れて、実感してもらう、そういう何か身近な場ができるといいと思います。こっちから話しをするとどうしても一方通行になります。それだと聞く側と話し側がはっきり分かれてしまう。質問に応えるとか、そういう形だと対話ができて、非常に一体感が出て関心も高まるのではないかなあと、それで今日は対話形式を提案しました。その時にこんな見当外れのことをしゃべったら悪いんじゃないかとか、だめではないかと思わないで、そういう切り口の方がおもしろいし、専門家同士がしゃべっても入り込みにくくておもしろくないじゃないですか。素人がとんでもないことをいうと、そこからおもしろい話が出てくるというのが、おもしろいんじゃないかと思います。

 
       講演前の慌しいところインタビューに応じて頂き、有難うございました。

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